story01-03 of フタガミ家づくり STORY

—「いま建てんとどうする!」  両親のため住み慣れた地にー

 生まれ育った地に、自分の手で新しい家を造る。次の世代も、また次の世代もこの地で平穏に暮らし続けていけるように――
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 沼さんがそんなまっすぐな人に育ったのには、やはり、古里、稲生の大らかで温かな人と自然によるところが大きいだろう。実家は、新しい家から100㍍ほど手前の同じ道沿いに今もある。セメントづくりの古い家は、5年前に亡くなった「教育熱心な恐いおばあちゃん」が寝起きしていた場所。両親と沼さん、沼さんの姉と妹の5人家族は、そのすぐ横の木造の母屋で暮らしてきた。家の前にはポストや宅急便の立て看板があり、よく見ると、「公衆電話・電報」の文字も。これらは、「沼商店」として約60年、この地で商売してきた証。実家は、小さいけれど、ちょっとした日用雑貨なら何でもそろう、地域になくてはならない店、稲生では知らない人がいない名物ストアだった。
 すぐ近くの稲生小学校は、一学年一クラスの小さな小学校。今でこそ一学年10人ほどだが、昭和50年代は子どもが多く、中でも沼さんの学年は40人以上もいた。裏山の竹林にわけ入っては秘密基地を造り、暗くなるまで遊びほうけた。高学年になると競って勉強に励んだ仲間たち。同級生のうち数人は沼さん同様、40代になった今でもやっぱり近所に住んでいる。昔と同じように何でも話をし、たまには飲みに行く、そんな竹馬の友のいる幸せ。小さいころから世話になったおんちゃん、おばちゃんも、歳は取ったけれど、まだまだ元気。大きな刺激や変化はないが、何より、心落ち着ける暮らしがここにはある。
 小学4年生のとき、学校から帰ると、父親の建一(75)さんが倒れて苦しんでいた。心筋梗塞だった。以来、祖母と母の昌子さん(73)が一家を支えてきた。看病に、子育てにと苦労の多い生活。店番の傍ら、車に野菜を積んでは行商に行く母の背中を見るうちに、長男としての強い自覚が自然と芽生えた。「中学からずっと私学に通いましたからね。おふくろのおかげで、なんとか学校も出れた。ものすごい感謝ですよね」。県外の大学を出た後、一度は県外企業に勤めたが、30歳のとき、県内の企業に腰を落ち着けた。以来、実家暮らしを続けるうち、長男として、病身の両親のためにも、いつかは新しい家を建てようと、心秘かに資金計画を練っていたという。