story02-01 of フタガミ家づくり STORY

-中卒で大工の住み込み修行 木を知り尽くした大きな手-
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体重100㌔は軽く越す大きな体。いい色に日に焼け、額に汗の浮いた大きな顔をくしゃくしゃにして豪快に笑う。歯が幾つか抜けているのもご愛嬌だ。
 右耳には、懐かしい、昔ながらの柿色の短くなった鉛筆が。いつでもすぐ木に線を引けるよう、昔から、大工さんが耳に挟んで持ち歩く七つ道具の一つだ。

 福原春一さん。57歳。高岡郡越知町生まれ。地元の桐見川小学校から、桐見川中学校へと進んだが、時代はちょうど過疎が進み、子どもが少なくなり始めたころ。桐見川中は翌年、休校となり(2012年春に廃校)、2年時からは越知中学校へ通った。同級生は13人。そのうち、福原さんと、もう1人の男子だけが高校へは行かず、大工になる道を選んだ。
 理由を聞くと、「たんに勉強をあんまりしとうなかったきよ」と笑ってみせるが、それだけではないはず。長男としていずれは一家を背負っていく覚悟など、さまざまな思いがあっただろう。
 「まあ、いとこも大工やったし。身近に大工やら左官やら、職人さんがおったきねえ。高校にはほんまに行きたいとは思わんかったがよ。とにかく、社会人になりたかったね。親から離れたかった」
 昨今では、中高生はもちろん、2、30代のいい歳をした大人でも、こんなに強い“自立心”を抱いた若者はそう多くない。だが、今から40年ちょっと前には、福原さんのような純粋な少年が、農村部にいくほど多くいたのだろう。
 福原少年が選んだ就職先は、中学校に届いていた求人票の中から見つけた、愛媛県新居浜市内の工務店。そこに住みこみで弟子入りすることを決めたのだ。出発は卒業式から1週間後。もう1人の同級生とともに、福原さんは母親、その同級生は父親が一緒に佐川から汽車に乗り、多度津まで行き、そこで乗り換えて新居浜へと向かった。初めての県外。「もっと街かと思いよったら、それがすごい田舎やってびっくりしたねえ」と遠い日を振り返る。
 福原さんが世話になった工務店は、親方が1人に、兄弟子が2人の小さな職場。親方は駅まで出迎えに来てくれていて、母はそこで「よろしくお願いします」と何度も何度も頭を下げた。
 「親方は、『大丈夫。任せてください。育てあげます』みたいなことを言いよったろうかねえ」
 人生の節目となったはずのシーンだが、「もうあんまり覚えてないねえ」と照れる福原さん。母は、仕事場まで一緒に行くことなく、駅で別れ、また1人、来た道を汽車に乗って帰っていった。
 「おふくろは『嫌になったら、いつやちもんてこい』とは言いよったねえ」
 本人はそれしか覚えていないように言うが、何度も後ろを振り返って息子を見やる母親の小さな姿が目に浮かぶようだ。当時はこうした親子の別れも、珍しくない光景だったのだろうか。
 もっとも、「痩せてはないけど、今よりはかなりスマートやった」という15歳の福原少年は、新生活への希望に胸を膨らませていた。荷物は先に送っており、小さいが部屋も用意されていた。2人の兄弟子は通いで、住み込みは福原さんが初めて。洗濯は自分でやったが、ご飯はおかみさんがつくってくれた。生まれもった明るい性格のおかげもあるかもしれないが、ホームシックになったり、何かを苦労に感じたことはそんなになかったという。