story04-05 of フタガミ家づくり STORY

命懸けで「年季奉公」の時代 先達の技盗み、腕磨く
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 間近で見上げると、空に届きそうなほど、高く見える壁。木組みの足場で恐くなかったのだろうか‥。
 「恐いと言うよりは緊張しましたね。兄弟子がリードを取ってくれましたが、使われる身としては、早う一人前にならんといかんという気持ちがあって。それに上が認めてくれいでも職人は職人。先々剥がれるような貼り方をしたらいかん。完全に接着させないかんと必死でした。」
 それにしても、自分の手掛けた仕事の代表作がこの高知県庁の壁、というのは土佐のタイル職人として、さぞかし誇らしいことだろう。しかし、西岡さんが、それを自慢するようなそぶりは全くない。どこまでも謙遜で柔和な表情に、愚直な職人魂がにじみ出ている。
 もっとも、当時の工事はもちろん、“安全第一”をうたってはいたが、今と比べれば格段に、危険と背中合わせだった。その、まさに命懸けと言えるほど危険性が高かったことに震撼させられるエピソードも聞かせてもらった。「今でも、あれだけはよう忘れられん」という、昭和三十四年に起こった大災害、伊勢湾台風時の西岡さん自身の体験談だ。
 日本中が好景気にあったそのころ、西岡さんが奉公していた「坂本組」の仕事も県内にとどまらず、西岡さんのような若い弟子でも県外出張に連れられて行くことがたびたびあった。そして、あろうことか、奇しくも紀伊半島を中心に五千人以上の被害者を出した、“昭和の三大台風”の一つに挙げられる伊勢湾台風が和歌山県の潮岬に上陸した、まさにその日に同県のl串本に出張していたのだという。
 「海辺に突き出た土地に堤防があって、その前で観光ホテルを作りよったんです。兄さん(兄弟子)と一緒に行っちょったんですが、なんぼ海がしけても兄さんが仕事をやめん。  ほんでも電気がつかんなって、それでやっと、やめたんです。普段は現場の横にあった掘建て小屋で寝泊まりしよりましたが、兄さんも、さすがに『今晩はホテルの三階で寝る』言うて、三階へ上がって。けんど窓から見よったら、次から次へと波が押し寄せてきて、堤防をばっさばっさ越えて。みるみるうちに周りが海になっていきゆうがですわ。それで一瞬、潮が引いてくれた隙にロープでもっと高い丘へ避難して、なんとか助かったがです。」
 一昨年の東日本大震災の、あの大津波を彷彿させる。九死に一生を得た、とはこのことだろう。「あれはまっこと恐ろしかった。何年か前に和歌山へいてみたら、もう、その観光ホテルはのうなっちょりましたがね」。好景気、高度経済成長の陰で、建築現場では、職人さんたちが、身体を張り、命を懸けて仕事をしていたのだ。
 そんな恐い体験もしながら、西岡さんは「坂本組」で年季奉公五年、さらに御礼奉公二年を勤め上げた。多感な十代をひたすら「馬鹿正直に」生きた。先達の技を盗むことに情熱を燃やし、タイル職人としてどんどん腕を磨いていった。今の若者には考えられない青春だ。
 肝心の西岡さんとフタガミとの付き合いは、西岡さんが「坂本組」を独立してから始まった。「先代(フタガミ創業者の故・二神十郎氏)の時分からですき、そりゃあもう長いことになりますわ」と記憶をたどるように話す。
 次回のSCENE2では、長年の付き合いの末に、昨年には、自宅をフタガミで新築するに至った、筋金入りのタイル職人、西岡さんとフタガミの固い信頼に基づく家づくりについて綴りたい。