フタガミヒストリー

フタガミヒストリー


フタガミの前身、㈱二神木工が誕生したのが、1967年のこと。それ以来、紆余曲折を経てお客様に支えられ、今に至ってこられた事を感謝しながら、私たちの歴史をたどってお話してみたいと思います。

人生の明暗を定めた運

小学生時代から工作が好きだった、故前二神会長。自身の技術を活かして、友人と二人だけの48坪の木工所を高知県須崎市でスタートしたのが、昭和21年4月のことでした。最初は、近所の知り合いからの受注で、机や椅子を作ることが主な仕事でした。細々と始めた事業に転機が訪れたのが、その年の12月12日。南海大地震でした。震災復興のための建具や学校用の机・椅子の需要が増え、事業が軌道に乗り始めたのです。
その時、技術やサービスに自信がある商品であることをPRするために、納品する椅子の裏に「マルニ」という焼印を入れることで、マルニ・ブランドが誕生します。事業も木工所から建具屋に変更。朝鮮戦争後の景気変動時にも学校建具の大量受注で乗り切り、多忙な時期を迎えることになります。 「人間は時の流れ、時代には逆らえない。人生には知恵も必要であるが、運が人生の明暗を定める」というのが、前会長の持論でした。
皮肉にも震災や戦争で転機が訪れた。それも運のひとつではなかったでしょうか。

時代の流れに逆らわない


友人と二人だけの木工所からスタートした、二神木工。時代の移り変わりと共に、木工、建具から発展して、内装工事も請け負うようになります。
NHK会館や、県議会議場の内装工事を受注。その後平成に入ってからも、トップワン四国の木製建具や家具工事、県立美術館の木製建具、高知空港のエントランスの集成材梁施工工事など、高知県のランドマーク的な建築物工事に携わるようになります。
また昭和40年代、一般住宅の建築ブームが訪れると、世間は次第にアルミサッシの時代に移行し始めます。その流れに従い、不二サッシと代理店契約を結び、拠点を須崎市から高知市内に移します。

そして昭和49年。初めてのアメリカの産業視察で、DIY事業に出会い、衝撃を受けます。
後に前会長は語っています。「私共が、住宅関連事業のひとつとしてホームセンター事業に進出したのは、時代の流れと共に、余暇時間の増加と節約の意識から、豊かな住まいづくりは、自分の手で行う時代が必ず到来すると確信したからです。」そして昭和57年3月に、ホームセンター高須店を一号店としてオープンさせるのでした。

ホームセンター一号店誕生

フタガミのホームセンター最初の出店は、昭和57年高須。まわりは田んぼと新興住宅地が建ちはじめていました。
当時、高知中央園芸市場と土地を一部共有していた関係で、当初は市が開かれる金曜は店を定休日にしなければなりませんでした。(その後市場は移転)

初代店長は振り返ります。「一店舗だけで仕入や経費を全て賄わなければならないため、とにかく大変だった。経費をぎりぎりに抑えなければならず、設備や備品もほとんど中古のもの。開店準備期もコンサルのアドバイスもなし、仕入先も知人を頼って一から開拓。失敗と改善を繰り返し成長していったねぇ。最初の3期は赤字。4期目からようやく黒字化した。大変だったけど、みんなで力を合わせて店を良くしていこうという高い士気があったよ。」

開店チラシの商品は、なんと社員の手書きのイラストによるもの。今となっては、とても味があり新鮮味があります。

「オープン当日は、時間前から店頭に大行列。まわりの農家のお客様が、とてもひいきにしてくれた。子供たちもよく遊びにきてくれたねぇ。」
店舗前の道が、南国バイパスと大津バイパスへの抜け道のため、いつも渋滞。12月の大売り出し時期は、車がなかなか入ってこられないほどでした。 お客様の年代は幅広く、遠方からも来てくれました。持って帰れない物置など配達しなければならないけど、店では手が足りない。そんな時、住宅部の大工さんが手伝って郡部まで配達してくれました。
みんな一致団結してがんばった一号店開店。翌年以降、逐次開店していきます。 そして現在は、㈱ハマート、ホームセンター佐川も加え、県内20店舗で「より豊かな住まいと暮らしのお手伝い」をさせていただいています。

鍵山秀三郎氏との出会い

平成に入り、時代は自動車産業の進展と競争により、高性能・高品質の車が、比較的安く購入できるようになりました。
またアウトドア・ブームによりカー用品のニーズも年々高まってきます。
こうしたニーズに応えるため、カー用品の草分け的存在のひとつである、(株)イエローハットと事業を組むことになります。
イエローハット本社とは今までホームセンターでも取引がありましたが、カー用品に特化し、(株)イエローハットと高知県内のローカル・フランチャイズを結んだのが、平成6年のこと。同年4月にイエローハット土佐店をオープンし、現在、高知県内すべてのイエローハット5店舗を営業しています。

(株)イエローハットの創業者である、鍵山秀三郎氏は、経営者であると共に、「NPO法人 日本を美しくする会 」の創始者でもあります。
そして、氏との出会いは商売以外の面でも多大な影響を受けます。それは、掃除を通じてこころを磨くこと。
とあるホームセンター店舗のオープン日で、鍵山さん含む取引先様をお招きした時も、鍵山さんは招かれている立場であるのに、お客様対応に追われバックヤードが全く片づけられない店のスタッフの代わりに、次々と空いていくダンボールを、黙々とたたみ片づけてくれていました。
掃除を通して、人の嫌がる仕事を進んで引き受けられる、謙虚な気持ちになれる、道具を大切に扱うようになれる。学校の机で習う以上のものを掃除は教えてくれます。鍵山さんとの出会いをきっかけに20年近く。フタガミでも、トイレ清掃を始めとする清掃活動を教育の一環として、同士の企業や個人の方々と現在も行っています。 

自然に寄り添う家づくり

平成に入ると、横浜ニュータウン、十市パークタウンなどの大規模な住宅団地が次々と形成され、戸建住宅建設ラッシュが始まります。
それに対応し、戸建住宅の受注体制を強化するために、昭和60年に住宅部を発足させます。

暮らす人の人生に寄り添って味わい深くなっていく木の家、そして県産材にこだわり、平成7年、住宅の構造材として使用する良質のヒノキの安定供給のため、大正町森林組合と年間契約を結びます。(のちにFSC取得の梼原町森林組合と締結)そして森林保全活動の一環で、同年「フタガミ友の会」を発足。「山からいただいた分は、お返しする」という考えのもと、住宅事業部のメンバーを中心に、当社で家を購入して下さったお客様、関連企業の皆様、そして私達の主旨に賛同して頂いた特別会員の皆さんと一緒に四万十の山へ登り、桜の植樹を行う「植樹祭」を現在でも毎年行っています。

また、平成9年に当時画期的であった、木造住宅の新工法「ストレートカット住宅」を世に出します。 これは、阪神・淡路大震災で多くの木造家屋が倒壊した教訓から生まれた工法で、通し柱に添え柱を固定し、その上に梁を乗せて金具で留める構造です。
仕口加工の必要がないため、柱や梁の端をストレートにカット。材料加工の費用や工期を削減することができます。また、木材の断面欠損がないため、柱の強度もアップ。四万十川流域のヒノキなどの県産材を多く使用するため、林業振興の一助ともなるものでした。

木工から始まり、ずっと木にこだわり続け、46年。日本一の森林率84%の高知県ならではの、地元の木材をふんだんに使った家。そんな温かな家づくりがフタガミ住宅の原点です。

これからもずっと暮らしのお手伝い

その後、平成13年ダイソーのフランチャイズ契約(県内野市、大方、十津のみ)。平成15年ペットショップ「ペットアシスト」の出店。平成20年牧野植物園ミュージアムショップ「バイカオウレン」の委託運営など、暮らしを取り巻く事業を拡張していきます。

そして直近では平成24年、住宅リノベーション事業の「イエリノ」ブランドを立ち上げます。
1970年代頃から県内に形成されてきた多くの住宅団地が抱える高齢化や空洞化の問題と、一方、落ち込む高知経済の中で、戸建の購入は親の支援がなければ極めて困難な若い世代。この二つの課題をマッチングさせることにより、両者の問題を解決できるはず。
若手のエネルギーをもって団地を再生していく、団地が循環することにより活性化していく。そして双方が心豊かな生活を送れるようになる。この事業が、フタガミの理念である、「高知県民に心豊かなくらしを」を実現する一助となればという想いがありました。

さらに付加価値として、イケア・ジャパン株式会社とキッチン関連製品の売買契約を結び、若い世代を中心に人気のあるイケア製品を中古物件の空間にコーディネートできることにより、若い世代の方にも中古物件を戸建購入の選択肢にしてもらうというしくみを作りました。
今現在、高知市内の築50年の中古住宅をリノベーションしたモデルハウスで、多くの若者たちに実感していただいています。

創業以来、いろいろな取り組み、いろいろな事業を試行錯誤して行ってきました。いつの時代も、根底に流れているものは、高知県民のための「より豊かな住まいと暮らしのお手伝い」。私たちはこれからも、その精神を忘れずにまい進していきます。